エミール・ブレイエの本

 『思想』(5月号、岩波書店)に江川隆男氏の論文「分裂的総合について:ドゥルーズ=ガタリ論」が掲載されております。江川氏には『存在と差異:ドゥルーズの超越論的経験論』(知泉書館、2003年)、『死の哲学』(河出書房新社、2005年)といった著作があります。
 江川氏は昨年、エミール・ブレイエ著『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』(月曜社)を訳し、きわめて充実したその解説「出来事と自然哲学:非歴史性のストア主義について」も書いています。この本は、個人的には、昨年読んだ本のなかで羨望に近いくらいの感銘をうけた本のひとつです。

 「ドゥルーズを触発した碩学ブレイエの高名な論考(1908年)の本邦初訳。数理物理学の衝撃のもとにある近代以降の唯物論とはまったく異なる初期ストア哲学の生物学的唯物論が提示する、存在と出来事を包括する自然哲学が〈非物体論〉として考察される。難解な論考の現代的意義を活きいきと開く訳者の長編解題を付す。」(オビの文章より)

「近代の唯物論は、一般に数理物理学の衝撃のもとにあり、それ自身が数学的である。それは、存在者を計算可能な大きさ〔数量〕に還元し、したがって空間と時間は、それらが諸々の存在者を測るのに役立つ以上、そうした存在者の本質的特徴である。ストア派の人々の一種の生物学的唯物論は、こうした現代の唯物論の思想から可能な限り遠いところにある。物体は、自らの規定性を、その〔数理学的な〕諸次元においてではなく、当の物体を限定する力と固有の性質のうちに見出すのである。」(本書101頁より)

「現代には〈自然哲学〉がない。ここで私が言う〈自然哲学〉とは、その後に形而上学を準備するような自然学でもなければ、物理学や数学といった学知とどこまでも共可能的な世界観を提起する自然哲学でもなく、その限りで反形而上学的で、反物理学的・反数学的な自然思想のことである。換言すれば、いかなる意味においても物体と相互作用しない――したがって、受動も能動もしないもの、非物体的なものである――にもかかわらず、その形相が自然のうちにしか存しないような、物体の表面的効果(つまり、身体の絶対的効果)、これを〈存在〉とは別の仕方で考察する思想、それがここで言うわれわれの〈自然哲学〉である。[中略]/ここで私が主張する〈自然哲学〉は、一つには自然のなかの動詞を探究する学であり、それゆえ〈物体=自然〉(ソーマ)とは〈動詞体〉(ロゴス)のことである。これは、草花や山河を、あるいは刻々変化する気象現象や天界の惑星の運行を単なる自然物や自然現象だと考えて、それらの存在とその認識の知覚を貶め、ことによって、逆にそれらの背後にあると想定された数々の法則や自然それ自体の実体的存在を認識することにより高い価値を措定しようとする思考などとは、まったく異なったものである。初期ストア派の人々にとっては、自然のうちには動詞的表現によって〈表現されるもの〉しか存在せず、したがって名詞は非妥当な概念しか表示しないことになる。言い換えると、草花や山河、自然現象や惑星の運動、これらの物体が刻々生産している非物体的なものについての考察がまさにストア派の弁証論だということである。[中略]/大いなる人為の叙事詩ではなく、自然の力の叙事詩を語ること、それが同時に〈平和の叙事詩〉となるような瞬間があるのかもしれない。」(解題より抜粋)

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