廣瀬純さんによる講演 【4】


【4】


        現代思想講座2009



京都精華大学での公開講座です。
場所は、京都のCOCON烏丸3Fの「shin-bi」です。

詳しくは → 【京都精華大学

下記、同 webから引用いたします。

***


   現代思想講座 受付中


   切断せよ、創造せよ。
   創造の方法としての“流れ=切断”


 フランス現代思想を代表する一冊、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの有名な共著『アンチ・オイディプス』における最重要テーゼは“流れは切断されることになしにはけっして流れない”というものです。これは、新たなものを産み出しながら前進していくようなクリエイティヴな流れというものが、連続的で滑らかなものではあり得ないということ、たえず切断や分岐を繰り返しながらぎくしゃくと流れていくものでしかあり得ないということを意味してもいます。例えば2人の人物のあいだでの次のようなやりとりはどうでしょう。A君の話をさえぎって(切断して)、B君が話し始める。「ごめん、ごめん。でも、君の話をきいていたら、いい考えが急に浮かんできちゃったんだ。」 A君にとってもB君とっても新たな何かは、こうして“切断”とともに創造されるわけです。しかしまた、流れ(A君とB君とによる対話の流れ)がクリエイティヴなものであるためには、その流れが“切断によって”流れなければならないということでもあるわけです。流れとは切断のことである(流れ=切断)、そして、対話とは“折衝”(相手の衝きをおのれの力として折り畳むこと)である――この例はそうしたことを簡潔に示しているのではないでしょうか。

 クリエイティヴに生きるには、できるだけ多くの切断を人生のなかに取り込む必要があるのかも知れません。クリエイティヴだから切断があるというだけではなく、むしろ逆に、人は切断によってクリエイティヴになれるのかも知れないからです。例えば、引っ越しやそれによる環境の変化がそれ自体でぼくたちの創造力を触発するように……。あるいは、キュウリの漬け物を新たなやり方で切ることが、そっくりそのまま、そのキュウリから新たな美味しさを引き出すことに直結しているように(漬け物の美味しさは切断の仕方に応じて変化する)。今回の現代思想講座では、毎回、身体の幾つかの特定の部分(器官)を取り上げて、それらの部分がいかにして流れを切断し得るのか、すなわち、いかにしてクリエイティヴな器官になり得るのかということを考えてみたいと思います。つまり、ぼくたちの身体を構成する様々な器官を一つひとつ切断へと導いていくことで、最終的には身体全体をクリエイティヴな器官の寄せ集め(動的編成)に作り替えるということを試みてみたいと思います。


   講 師   廣瀬 純 (龍谷大学講師)
   定 員   25名
   受講料   6,000円
   日 程   全3回 土曜日 13:30~15:30


第1回  12月5日(土)

口と肛門、あるいはジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリ
――『アンチ・オイディプス』再入門


第2回 12月12日(土)

耳と手、あるいはセロニアス・モンクとビル・エヴァンズ
――音、そしてmembra disjecta(ばらばらの肢)が奏でる音楽


第3回 12月26日(土)

背中と背中、あるいはジャン=リュック・ゴダールとクリント・イーストウッド
――顔と眼差しとを退位させるために、背中を
 
 
 

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